PTコッツンのこれまでと今後

ども! 理学療法士のコッツンです!

この記事では理学療法士コッツンのこれまでを振り返り、今後やっていきたいことなどを勝手に吐き出してみたいと思います。

気が付いたらかなり長編になってしまったので、ざっと下にスクロールしてもらって「長すぎるねん!クソがっ!」という方はブラウザの✖ボタンをそっと押してください。(いや、最終章だけでも読んでほしいなぁ…)

「まぁヒマやしちょっと読んだる」という方はポテチなどつまみながらご一読いただけるとうれしいです。

 

学生時代

学生時代に印象に残っていることと言えば…

  1. この業界、めっちゃ体育会系やん…(入学してすぐにひきました)
  2. 仲間ってめっちゃ大切やん…(人生で初めて気づきました)

ってとこですね。

 

リハ業界の体育会系問題

まず体育会系問題ですが、これはマジでひきました。

うちの学校が特にそっち系の先生が多かったというのもあるかもしれませんが、20歳とかになってまで教員からガチで怒鳴られるとか、非体育会系で育ってきたコッツンには軽くカルチャーショックでした。

そして臨床実習もそのような雰囲気で展開されており、もうあえて詳細は記載しませんが、あまりのキツさに精神を病んでしまって辞めてしまう学生もチラホラいましたね。

そしてこのリハビリ業界の臨床実習の過酷さは国でもちょっとした問題となり、現在はかつてのようなスパルタ実習はなくなっています。

このね、リハビリ業界の教育における謎の軍隊方式のやり方はマジで要らんと思います。医療の厳しさを学ぶことは確かに大切ですが、「伝え方」って大事でしょ。

「患者さんとのコミュニケーションガー」とかいう前にアンタがまず学生or新人とコミュニケーションとれとらんがな。

教育ってすなわち「未来をつくること」でしょ。

今教育している目の前の人が未来をつくっていくんだから。

だから僕はリハビリ業界のことだけに限らず、じぶんの子どもたちのこれからのことも含めて、「教育」ということには関心があります。

「教育」については当ブログで考えていきたいテーマの一つです。

 

初めて感じた ”仲間って大切やん”

リハビリの学校って一般の大学にくらべてかなり大変です。

ぼくはリハの大学に入る前、一般の大学の法学部を卒業しているのですが、そのキャンパスライフの違いはハンパないですね。

プロフィールにも書きましたが、一般大学時代はバイトとパチスロに明け暮れ、彼女とイチャイチャしていたら良かったですが、リハの学校は卒業後に即戦力となることが求められるので基本的には必死こいて学ぶ必要があります。

しょっちゅう課題はだされるし、グループ課題も多いし、定期テストは鬼むずいし(たしか合格者1名、みたいな科目があった気がします)、教員は怖いし、マジで大変な4年間でした。

ですがそんな過酷な生活をともに過ごしたクラスメートたちはまじで大切な存在になりました。

いわば戦友って感じですね。

♪オマエラがいたからここまでこれたぜ yo ♪ みたいなジャパレゲの歌詞の真の意味を理解することができた瞬間でした。

働きだしてからも痛感していることですが、人間なんて本当に弱くて、ひとりの力でできることなんてたかが知れています。はなくそレベルのことしかできません。

仲間は本当に大切です。

仲間が本当に大切だと思うのは「感情の共有」ができるからなんですね。

これは日々生きていく上での最高のモチベーションになるといっても過言ではないと思います。

これからも理学療法士としていろいろやっていきたいと考えていますが、仲間をつくりながら、感情を共有しながらやっていきたいと考えています。

 

回復期病院時代

理学療法士として働き始めたわけですが、この最初の回復期病院時代で印象的なことは…

  • 1年目で患者さんからクレームもらった。
  • リハビリ的価値観を患者さんに押し付けていた。

ってとこですかね。

クレームもらいました。新人さん、ご参考に。

これは当時のぼくにとってかなり心にダメージを受けた出来事でしたね。

1年目、たぶんまだ入職して3~4か月目くらいだったと思います。担当していた脳卒中の女性からクレームをもらい、担当変更になりました。

脳卒中のケースを担当するのは初めてだったこともあり、正直ほとんどよく分かっていない状態でリハビリしていたと思います。

その方はBRS stage下肢Ⅲ~Ⅳ、短下肢装具をつけてT字杖で歩行監視レベルという能力でした。

その方は監視レベルで歩行できるのですが、麻痺側足趾の筋緊張が高く、動作時にclaw toeとなることを気にされていました。

しかし当時のぼくは足趾のことは重要視しておらず、麻痺側下肢の支持性向上を図るために、筋トレや荷重訓練に力を入れていました。

その後、足趾の筋緊張はさらに亢進し、荷重時に痛みを生じるようになりました。

痛みが生じるようになってしまったことを受けて、ぼくは歩行訓練をしばらく中止する旨を患者さんに伝えました。

まだ体幹など弱い部分もあり、基礎的な姿勢も悪いから筋緊張があがりやすく、痛みが生じている。よってしばらく歩行訓練は中止し、基礎をしっかりと行っていきましょう、というような説明したと記憶しています。

その2、3日後の夜、その患者さんは旦那様とともに病棟の看護師長にもうぼくのリハビリは受けたくない旨のクレームを訴えられ、翌朝それがリハ部へ伝えられ、ぼくも知るところとなりました。

直接クレームを受けたわけではないので表現がどういうものであったのかは分からないのですが、当時のリハ主任に呼び出されて伝えられたことは「患者さんの下肢の痛みにしっかりと対応できなかったことが原因だ」という旨の説明を受けました。

当時のぼくはリハ主任からクレームの内容を聞かされたわけですが、本当の意味で理解できていなかったと思います。

リハ主任から言われた「患者さんの下肢の痛みにしっかりと対応できなかった」というのは、もちろん「下肢の痛みをとってあげることができなかった」という意味もありますが、「そもそも患者さんの痛みの訴えを傾聴できていなかった」ということも意味していたのです。

「傾聴」というのは単に患者さんの訴えを相槌をうちながら「そうですね。ふんふん。」などと聞く行為ではなく、訴えの中から患者さんの真意をくみとり、「求められている応答」をすることだと思います。

「求められている応答」は患者さんそれぞれで異なります。

単に話を聞いてほしいだけの人もいれば、具体的なアクションを求めている人もいます。

いずれにしても、そのコミュニケーションの中において、「この人はちゃんと聞いてくれて、考えてくれている」というように感じてもらうことが重要で、これがないと、「本当にわたしのこと聞いてくれてるのかな」という不信感につながります。

当時のぼくは「技術的に痛みをとってあげることができなかったためだ」という解釈しかできていませんでした。

本当の意味に気づいてから現在まで、患者さんがリハ中に発せられる何気ない言動も、重要な意味を含んでいるのではないかと気にしながら日々、コミュニケーションをとるように心がけています。

 

リハビリの価値観を押し付けていた

PTとして勉強もし、ある程度のことが考えられるようになってくると、「リハビリ的にはこうした方が良い!」という思いが強くなってきます。

そしてそれがあたかも絶対的正義かのように考えてしまうという罠にはまってしまいました。

ある患者さんの歩行を考えるときに、この方の身体能力を評価したうえで、PTとしては絶対に杖を使用しないと危ないと判断したとします。

でも患者さんは「杖なんて年寄りクサいもん使えんわ!」と言われた場合どうするか。

当時のぼくは…

  • 転倒リスク=悪
  • 転倒リスクを下げる提案をしているボク=善
  • 杖を受け入れない患者さん=間違っている

こんな風に考えていたと思います。

まぁこれはこれでひとつの考え方としはありなのかもしれません。

ただし、あくまでも「リハビリ側の」視点に立った場合です。

けれども、そもそも世の中に絶対的な「正しい」「間違っている」なんて事象はありません。

世の中の事象で「正しい」とか「間違っている」とか判断されているのはあくまでも「ある立場に立って判断したときには」という前提があります。

さきほどの例に当てはめて考えると、「リハビリの立場にたって」考えると、この患者さんに杖をもって歩行をしてもらうことは正しいことでしょう。

しかし「地域でもしっかり者でとおってきたプライドの高い患者さんの立場にたって」考えると、杖をもって歩行するというのは著しく尊厳をおとしてしまうことになるのかもしれません。

 

当時のぼくは基本的に「リハビリの立場にたって」リハビリにおける善を押し付けていたと思います。

とくに病院に勤務していると「医療側の人間マインド」になりがちで、さらに患者さんの生活が見えにくいので(もちろん話では聞くけれど想像の域を出ない)余計にこちら側の意見押しになってしまいやすいと思います。

絶対的な正しさが存在しないこの世の中において、リハビリ的価値観と患者さんやご家族の価値観を擦り合わせ、「最適な解」「妥当な解」を導き出すことが大事なのだと今は考えています。

 

大学病院時代

回復期病院に3年ほど勤めていると、PT人生のキャリアのことを考えるようになりました。

あれこれ考えました。

「脳卒中」とか「整形」とか、もっと細かく「股関節」とかに特化したスペシャリストを目指すべきなのか…

いややっぱり全部の疾患をまんべんなく診れるジェネラリストの方が良いのでは…

つかそもそもスペシャリストを目指すにも、いま勤務している施設の症例がどんな種類が多いのかによって、ある分野に特化したいと思っても難しいんじゃないか…

そしたら職場かえる必要あるか…

 

モンモンと考えました。

 

で、はっきりとした答えは出なかったです。

けれどもいま自分が働いているのは回復期の病院。急性期のリハビリってどんな感じなんだろう、思いはありました。

そしてリハビリの世界を俯瞰するためにも各ステージのリハビリを経験しておくのは悪くない、また急性期のリスク管理を学んでおくのも悪くないという思いに至り急性期の病院に移ることを決めました。

そしてもう一つ、この時期に読んでいたPT山田英司先生の本で研究の必要性に駆られ、急性期+研究が可能な大学病院へうつることを決心したのです。

ちなみにその山田英司先生の以下のコトバがココロに刺さったのです。

なぜ理学療法士は研究をしなくてはならないのであろうか。それは、われわれが日々臨床で行っている理学療法は理学療法学という学問に基づくものであるからである。学問であるからには理学療法は科学でなくてはならない。よって科学を背景をする理学療法という学問を発展させていくことが、どのような環境に所属していようとも理学療法士の使命であり義務なのである。それはいきなり高額な機器を用いたランダム化比較試験モデルの研究に発展するのではなく、目の前の患者さんを治療している中で浮かんできた疑問を解決しようとする姿勢から始まる。「患者さんは教科書である」という言葉に反論する人は多くないであろう。この言葉を科学的に明らかにしていこうする過程が研究であると考える。

どうですか?

刺さりませんか?

ぼくは気が付いたら1リットルくらい出血していました。

そしてさらに気が付いたら大学病院に就職していました。

 

大学病院時代は正直キツかったですね。

夕方の6時くらいまで臨床業務、そしてそこからマッハでカルテやその他の雑務を終わらせ、7時から深夜まで研究業務をするという感じでした。

帰宅するのは毎日深夜で日付が変わっていることもザラ、リハ室で一夜を明かしたこともあるし休日出勤も珍しくなかったです。

家には寝るために帰っているような感じでした。妻と子どもには同居してるはずなのに朝も夜も出会わないということもあり、「あれ?おれ単身赴任中だっけ?」みたいなこともありました。

 

そんな過酷な毎日を送っていた大学病院時代ですが、そこでひとつ重要なことを学びました。

それは学生時代での気づきとかぶるのですが、

「どんなキツイ状況にいても、いい感じの仲間がいれば頑張れる」ということです。

その大学病院では皆、キツイ毎日を送っているはずなのに、不思議と皆生き生きとしているのです。

いやもちろん追い込まれている時は皆グロッキーな顔してましたけどね、けれどもそういう表面的なとこじゃなくて、マインドがですね、折れてないというか、前を向いているというか、シンプルに「頑張ってんな!」って感じなんですよ。

いま思えば、組織づくりもうまかったんだろうなと思います。良い意味で組織のマインドコントロールがうまいというか。もちろん細かいゴチャゴチャはたくさんありましたけどね、なんというか全体としてまとまってる感じ。

 

ここでの経験で強く思いました。

これから何をやっていくにしてもいい感じの仲間はゲットしていこうと!

「あいつも頑張ってるし俺も!」のチカラはあなどれません。

 

転職、そして訪問看護ステーションへ

大学病院勤務も3年目を迎え、またいろいろと考えるようになりました。

  • 2人目の子どもも授かったので家庭への時間を増やす必要性がある…(子ども1人と2人では大変さがケタ違い)
  • 父親が大病を患い実家のことも考えんといかん…
  • 単純に今の職場では拘束時間が長いので自分の今後をゆっくりと考える時間も行動を起こす時間もとりにくい…

このようなことをモンモンと考えた結果、転職し、実家のある滋賀に戻ることを決意しました。

そして職場はせっかく超急性期のリハを学んだのだからもう少し急性期を続けようか、あるいは最終的に行きたいと思っていた地域に行くか…

結果的には限られた転職活動時間×就活エネルギー×募集している施設の選択肢の数×タイミングなどもろもろの因子がワチャワチャした結果、訪問看護ステーションへの移籍が決定しました。

 

生活期のリハに携わるようになって思うこと。そして今後。

訪問看護ステーションに勤務して2年目を迎えました。

生活期のリハに携わるようになって思うことはいろいろあるのですが、一番悩ましいと思っていることは日々のモチベーションが上がらない方々。

それはもうリハビリのモチベーションだけが上がらないっていう次元じゃなく、生活すべて、生きること自体のモチベーションが上がっていない方々が非常に多いんですね。

そしてそれはセラピストのスキルが云々というレベルではなく、仮に身体機能的に障害が取り除かれたとしてもそれだけでは解決しない生活の問題なんですね。

そもそも生活に問題があったから身体、精神に支障をきたすに至った、という方が多いということに気づきます。

よくあるパターンは仕事一筋に頑張ってきた方が定年退職後、趣味も何もなく、人付き合いもなくなり、家でゴロゴロとテレビだけ見て過ごすという生活を続けた結果、身体機能低下、運動不足に起因する内部障害を発症、要介護状態に。というのが多いです。

そしてプライドが高いので通所リハや地域のコミュニティへの参加など、集団への参加に拒否的で、かろうじて訪問リハビリだけは受け入れるも、そもそも元の生活がそんな状態なので生きることに意義を見出せずリハはもちろん何にもモチベーションが上がらない、という場合が多いです。

そういう方々に有効な変化を生じさせるためには、既存の介護保険サービスだけでどんなに連携などしようが全く歯が立たないと感じています。

 

こういうのを何とかしていきたいと考えています。

 

どんな人でも楽しめる場がどこかで提供されているようなマチ創り。

 

人生100年時代になりつつある現代日本において、自分が年老いたときにどんな生活を送るか、という問題は他人事ではありません。

 

早くからそこに問題意識をもって行動していくことが大事だと思います。

 

プロフィール記事にも書いた気がしますが、人生100年時代に大切だと考えているのが

  • 「働き方 Work Style」:個人的には死ぬまで働いていたい。100歳までも退屈しなさそう。
  • 「健康 Health」:100歳まで楽しもうと思ったらなるべく健康である方がいい。
  • 「教育 Education」:上記のようなマインドを皆が早いうちから学ぶべき。学校教育から。

 

これらのことをリハビリテーションと絡めながらアレコレ考えていく場にしていきたいと考えています。

 

ここまで読んでくださった方、どうもありがとうございます!

 

そしてともに人生100年時代を誰もが、そして体が不自由になっても楽しめる社会を創っていきましょう!